伊丹市との交流事業
伊丹の酒は、吉野産の杉で作られた酒樽に詰められ樽廻船に乗せられ江戸へと運ばれていました。その間、樽の中で吉野杉の香りが酒に移り、それが味わいを深めるという効果がありました。江戸時代初期に始まる近世酒造業の発達には、桶や樽の出現に負うところが多いといわれており、樽は四斗樽、半樽(二斗樽)、一斗樽と規格が決められ、吉野の山であらかじめ加工 〔 束ねたものを「樽丸」と呼んだ。 〕 されておりました。吉野方言で杉山のことを「伊丹味山」、樽丸のことを「伊丹味」、樽丸師のことを「イタミ職」と呼んだことからも伊丹と吉野は密接な関わりを持っておりました。今、吉野では地場産業である製材業の復興を何とかしたいと「産」・「官」・「学」が結集し、灯かりのイベント企画として、6年前から「吉野山灯り塾」、「吉野山灯りコンテスト」を展開されておられます。 ここに、展示された「灯かり」は、吉野杉・吉野和紙を使った作品で「吉野山灯りコンテスト」において最優秀賞に輝いた作品です。吉野山灯り実行委員会のご好意により旧岡田家330年のイベントに拝借することができました。 自然素材の持つ独特な灯りをご堪能下さい。
去る9月11日、吉野 山灯り実行委員会のメンバーは伊丹市を訪れました。これは伊丹市役所都市計画室地域計画推進課の方より、「山灯り作品」を現存する最古の酒蔵で重要文化財である「旧岡田家住宅」に展示したいとの申し出があり、その展示風景を見学するために訪れました。伊丹市というのは、商業ベースでの「清酒発祥の地」で、灘に先駆けて多くの清酒業が発展した町でした。その清酒を江戸まで運ぶ為に用いられたのが吉野杉での樽で、その酒樽に詰められ樽廻船で運ばれている最中に吉野杉の香りが酒に移り、それが酒の味わいを深めるという効果があったそうです。伊丹市立博物館の文献によると「吉野方言で杉山の事を「伊丹味山」、樽丸のことを「伊丹味」、樽丸師のことを「イタミ職」と呼び、このことからも伊丹と吉野は密接な関わりを持っていました。…」
  上の写真は昨年のコンテスト展を訪れた同課職員の東さんが撮影したものです。シンポジュームに先立ち、藤井さんを中心として同課職員が時代衣装に身を包み、伊丹には多くの文人達が訪れた町であったことをお芝居で紹介するコーナーもあり、この中でも盛んに吉野のことを取り上げていただきました。その後開催された「公開シンポジューム」の後、時間をいただいて吉野杉の紹介を実行委員長代行で商工会副会長の上垣さん。樽丸の端材で作られるようになった吉野の割箸については、実行委員で箸組合理事の上田さんが説明させていただきました。会場につめかけた200人ばかりの伊丹市民は熱心に耳を傾けていただきました。
今回この機会を通して吉野と伊丹の関わりが復活したように思われます。この企画をしていただきました伊丹市都市計画室地域計画推進課に皆様本当に感謝申しあげ、両地域がますます交流を深める第一歩になればと感じました。伊丹市の皆さん今後とも宜しくお願いします。



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吉野 山灯り実行委員会事務局(吉野町商工会内)
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