奈良県のほぼ中央を西流する吉野川、その中央地帯の要地にある吉野町は、総面積約95平方キロメートル、奈良県全面積の6割を占める吉野郡の北端に位置しています。
 本町には市街地に接して、約30平方キロメートルもの広大な国立公園があります。
 また、町のいたる所に名所・旧跡・文化財が散財し、緑豊かな自然観光地として広く知られています。

■吉野の古代

「吉野」という地名が「古事記」や「日本書紀」に登場したり、かつては離宮が置かれたり、穴居生活が営んでいた住民や、漁労生活をしていた人々の存在を知ることができます。
 飛鳥時代には、大海人皇子が近江の都から吉野に逃れ、壬申の乱を起こし、飛鳥浄御原に古代津令国家を築いたのはあまりにも有名です。
 また、役小角(えんのおづぬ)が大峰山を開き、修験道を創立し、吉野金峰山が山岳宗教の中心として仏教文化の影響を受けることにもなりました。

■吉野の中世

 修験道は平安・鎌倉期を通じて隆盛を極め、たび重なる天災・兵火・法難にも耐えて、その都度不死鳥のようによみがえり、今その大本山は国宝建造物「蔵王堂」として私たちの目の前にそびえたっています。
 また源義経と静御前、後醍醐天皇・楠正行・竜門城の一色氏らに見られる華やかさと悲しみの人間ドラマも織りなしてきました。
 こうした歴史・旧跡・名勝を訪ね、西行・芭蕉・貝原益軒・頼山陽・本居宣長・加茂真淵などの文学や絵画に、繁栄した跡を確かめるのもいいでしょう。

■吉野の近世

“とし月を心にかけし吉野山 花のさかりを今日見つるかな”と豊太閣秀吉が吉野の花見をした桃山文化の面影をいまだに残しています。
 近年に入り、吉野山が史跡名勝地として指定され、さらには広く吉野熊野国立公園、県立吉野川・津風呂自然公園といった指定を受けました。いま町の人たちは、自然と宗教と歴史のロマンが渾然一体となった独特の文化を守り育てているとともに明日への力強い歩みを続けています。